源三です。

あっという間に八月が過ぎ、九月に入ってしまいました。月並みの表現しか思い浮かびませんが、「時が過ぎるのは早い」ものですね。お盆の後は遅めの夏休みに入り事務局の作業も少し中断しておりました。会員誌に協力してくださった会員の皆様、入稿まで頑張って作業してくださった事務員、誠にありがとうございました。

さて、先日やっと待望の『武田氏家臣団人名辞典』が手に入りました!

『武田氏家臣団人名辞典』は入手が困難になるほど人気で、重版も完売とのことです。井上会事務局では幸いにも一冊入手することができました。

特に井上氏関係についてはとても気になるところです。一般的に井上氏は上杉方に味方したことが取り上げられますが、実は武田側についた井上氏もいるのです。

その武田側の井上家臣団については、p.104に取り上げられています。

  • 井上左衛門尉
  • 井上新左衛門尉
  • 井上満直

以上の三名が取り上げられています。

それぞれの内容については、辞書を手にとって確認していただければと思います。辞書に書かれていない付加情報を少し付け加えておきます。

井上左衛門尉と新左衛門尉の親子は武田側の家臣として取り上げられていますし、それを証する古文書が残されているのは事実です。従って、史実であることは間違いないでしょうし、武田側の家臣として歴史的に評価されるべきでしょう。しかし、面白いことに両者は、上杉方の浄運寺に掛け軸を寄贈したり、自らの陣笠を贈っています。

ここで疑問が湧きます。そもそも井上氏一族内での上杉・武田のどちらにつくかという争いはなかったのではないでしょうか。

面白いことに、江戸期にまとめられた『浄運寺史畧』には次のようなことが記されています。上杉あるいは武田のどちらかが戦に勝っても、井上氏が生き残る為に浄運寺は井上氏の意向に沿って綿内に浄音寺(後に、井上正満を弔う為に正満寺となる)を建立した。

つまり、上杉方の寺院(浄運寺)が井上氏の意向により武田方の寺院(浄音寺)を建立した訳です。

確かに、井上氏の歴史を調べますと上杉方に最後まで味方したことが有名ですが、実際には一族が絶えない為に故意に上杉方と武田方に分派させたのではないでしょうか。

尚、井上氏の家老格であった宮澤氏と綿内氏は、井上氏が去った後も井上氏のお墓や宝物を守っていたことが知られています。江戸期に井上氏より寄贈された浄運寺の宝物は宮澤氏・綿内氏が施主となって大修繕がなされました。