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井上の名馬の最終回です。最後は明智秀満の馬として伝わっている大鹿毛についてです。

大鹿毛・井上鹿毛・いたや鹿毛

明智秀満は、明智光秀の家臣(一説では従弟とも)であり、左馬助と称したといいます。秀満が乗っていた馬が今回紹介する大鹿毛です。おそらくですが、信長から光秀が賜った馬を、秀満が乗っていたのではないでしょうか。この大鹿毛と秀満の逸話は『川角太閤記』に出てきます。

大鹿毛は信濃の生まれであり、黒鹿毛で、背丈は二寸七・八分であった。元々は「井上鹿毛」といったが、後には「いたや鹿毛」と呼ばれた。

大鹿毛はハッキリと信濃生まれと書いてあることから信州産の名馬であったことは確実でしょう。おそらく「井上鹿毛」と呼ばれていたということから、井上産だと理解されたのではないでしょうか。ただし、信濃産であったとしても井上産なのかどうかは明らかではありません。というのも、後述する伝説は先に紹介した「井上黒」の伝説と似ており、それから「井上」の字が冠されて井上鹿毛と呼ばれた可能性もあるからです。

明智左馬助の湖水渡り

さて、この黒駒と秀満の伝説として最も有名なのが「湖水渡り」と言われるエピソードです。光秀の敗死を知った秀満は坂本に引き揚げようとしたが、大津で堀秀政の兵に遭遇した。秀満は黒駒に乗って琵琶湖を渡ったたといいいます。

流石に、、、琵琶湖というのは少し誇張的かもしれません。しかし、秀満が敗走する際に黒駒のお陰で逃げ延びたということはあったと思います。

また、最近では新資料も見つかっており、秀満の湖渡りという伝説がどうして生まれたのかという視点から考察もなされているそうです。(参考リンク

滋賀県の大津市には、「左馬助の湖渡り」に因んだ石碑も建てられています。

やはり、黒駒の伝説は井上黒の伝説を踏襲しているのではないでしょうか。いずれにしましても、歴史上の名馬には「井上」の字を冠することで、その伝説に脚色が加わることが分かります。