井上頼季(源頼季)の人物像に迫りたい!

井上氏の氏祖は井上頼季(源頼季)です。井上氏について調べたことがあるなら、知っている方も多いかもしれません。もちろん、井上会の会員さまや事務局員はよくご存知なことでしょう。

しかし、「井上頼季」という名前は知っていても、頼季の生涯や人物像については未だに不明瞭なことが多く、「よく分からない」というのが実情ではないでしょうか。ネットで調べても中々、頼季に関する情報は出てきません。

幸いにも、Wikipediaには、「井上頼季」(源頼季)の項目があります。

かなりコンパクトな内容ですが、現在知りうる頼季のほぼ全てがWikipediaには記されているように思います。

高梨家古文書小集

さて、皆さんは『高梨家古文書小集』という書籍をご存知でしょうか。

明治四二年に仙台墨禅会から刊行された『高梨家古文書小集』は、仙台高梨家の系譜と伝承による家記であります。

学術的な研究書ではなく、多くの間違いがあることは否定できませんが、本書は明治以後の(あるいは江戸時代中期にさかのぼる)妙心寺開山関山国師伝記に大きな影響をあたえています。

この『高梨家古文書小集』の要点は陸奥側に点在する地名高梨にかけて、高梨氏の発祥を仙台高梨とし(もちろんこれは誤りです)、さらに宗家井上氏や他の須田・村山等々の高井源氏の発祥をすべて東北地方にあるとし(もちろんこれも誤りです)、前九年、後三年役後これら高井源氏は逐次北信濃に移動入植したという説を唱えています。

史料性に乏しく、伝承のみを基に構成されたものですから、そのほとんどの情報には信憑性がかなり低いと言わざるを得ないのですが、その代わり頼季についての記述が多いのには注目です。

そこで、『高梨家古文書小集』の中に現れる頼季像についてまとめていきたいと思います。その上で、一級の史料との比較することで何か頼季像が見えてくるのはないのか?と期待しております。

時間はかかるかもしれませんが、またブログで報告させていただきます。