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源三です。

今回は井上の名馬の中でも最も有名な「井上黒」の伝説についてまとめてみたいと思います。

井上黒の伝説については既に色々な書物にまとめられておりますし、子供向けに紙芝居になっていたります。ですから、新出のものはありませんが、簡潔にまとめてみたいと思います。『平家物語』の「知章最期」には源平合戦のクライマックス、生田の森の合戦おける名馬井上黒の美談が語られています。聖徳太子の黒駒のような神異性をおびた伝説ではありませんが、その代わりに史実性がある物語だと思います。

院の御秘蔵の御馬

井上で産まれた井上黒は、院の御秘蔵の御馬で、御厩(みうやま)につながれて飼育されていたといいます。知盛の異母兄である宗盛が内大臣となった時に賜ったといいます。

もともとは知盛ではなく、異母兄の宗盛が賜った経緯があるようです。おそらく、その後に宗盛から知盛に与えられたのです。知盛は井上馬を大変可愛がったといいます。

究竟の息長き名馬

知盛は井上黒をあまりに大切に飼育されて、その無事を祈るために毎月一日ごとに泰山附君(たいざんふくん)を祭られました。そのために、井上黒の命は延び、後に主人の命をも助けることになります。

この説話からもわかるように、知盛の井上黒に対する愛情は相当なものであったことがわかります。後述することにもなりますが、結果として、井上黒は生き延び、知盛の願いは叶うことになります。そのような由縁から「息長き」と称されるのでしょう。

知盛と井上黒の別れ

知盛は、この「究竟の息長き名馬」によって戦いから逃れ、船に辿りつきます。しかし、船は馬を乗せる余地のないことから、知盛は馬を手放すことになります。重能は、この名馬が敵のものになることを思い、弓によって射殺そうとしますが、知盛が「誰のものともなるならばなれ、我が命を助けたものを。射るべきではない」と言って制止します。井上黒は知盛との別れを惜しみながら、しばらくは船から離れようともしません。次第に遠くなっても、何度も船を振り返ったといいます。

この話からわかることは、知盛の井上黒に対する愛情だけではなく、井上黒の主人(知盛)に対する慕情でしょう。この極めて感動的なシーンは『平家物語』の解説本などでもよく取り上げられていますし、「一の谷合戦屏風」などの絵にも描かれています。

一の谷合戦図屏風(馬の博物館蔵)『須坂市誌』参照

なんとも切なく悲しい場面でしょうか。源平合戦の屏風や絵図はたくさんあるようで、インターネットで画像検索してもたくさん見ることができます。私はついつい、いつも源氏側ではなく(本来源氏側のはずなのですが・・・)、井上黒を探してしまいます。

河越黒の別称

その後、井上黒は陸に上がって休んでいたところを河越小太郎重房にとらえられます。井上黒の素晴らしさに驚いた河越重房は、後白河院に献上し、井上黒は院の御厩(みうまや)としたといいます。

そのため、井上黒は「河越黒」とも言われます。

院の御厩に戻る井上黒

『平家物語』では、河越重房が井上黒を院に連れていった後の話は描かれていません。結果として井上黒は院に帰ってきたということになります。波乱万丈の人生(馬生?)の井上黒は、悲劇的な結末を迎えずに寿命を全うできたのではないのかと思います。知盛との悲しい別れがありながらも、井上黒は数々の主人からの愛情に恵まれていた馬でもあったということが分かります。