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源三です。

前回の記事では、井上の名馬について、井上育ちの意味についてまとめました。今回は、前記事で紹介した井上の名馬(黒駒・井上黒・井上鹿毛)である3頭に関する伝説に焦点を当ててみたいと思います。

今回はまず聖徳太子が乗ったと言われる「甲斐の黒駒」についてです。

井上産としての黒駒伝説

「井上の名馬」(浄運寺蔵)天保年間中、浄運寺書生による下絵図。

前記事でも紹介したように聖徳太子の馬として有名な黒駒は、「甲斐の黒駒」と称されていたように、甲斐国からの貢馬であったと考えられます。その黒駒に井上産であるという脚色が加わったのは『文保本聖徳太子伝記』でしょう。その中で、黒駒には次のような伝説が記されています。

信濃国の井上で産まれ育った黒駒は、神力自在の龍馬であったといいます。信濃国浅間山と駿河国富士山との間を飛び通っていた(!???)

十四世紀頃の文保の時代に著された書物とはいえ、その神異性はかなり飛び抜けています(汗)。しかし、かの聖徳太子が乗ったとされる馬です。これくらいの脚色がついていないと様になりません!!

聖徳太子はこの黒駒に乗り、日本国中の寺社仏閣を巡礼する。まず、富士山に登り、奥州から鎮西に至る諸山を飛行して巡詣(!)する。

やはり、富士山の神仙信仰の影響が強かったのでしょう。今日までも富士山周辺には聖徳太子の伝承が数多く伝わっていると聞きます。自由に飛行して、日本全国の寺社をまわるという説話は聖者としての聖徳太子のお姿が想像できます。この飛行説話に欠かせないのは、もちろん黒駒です。井上育ちという脚色が加わったことで、黒駒にこのような神異性が描かれるのは、やはり後世に有名になった井上黒の影響があったのではないかと考えられます。

黒駒の眼は晴色の光に輝き(晴光曜)、黒駒と眼があった者は、たちまち消え入る(!)。

なかなかの攻撃力(?)です。黒駒と目があった者は、すぐに消えるという意味でしょうか。あるいは、「気絶する」というくらいの意味合いかもしれません。もっとも、飛行するほどの馬です。私なら、眼を合わせずとも気絶すると思います。

黒駒は、輪玉七宝の中も随一であり、三千年に一度出現する馬である。天下太平であることから、聖徳太子にはこの真龍である黒駒が現れた。

ここでいう輪玉七宝は、金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲・赤珠・瑪瑙といった自然七宝のことではなく、転輪聖王の七宝のことを指しているでしょう。つまり、輪宝(四方に転がり、王に大地を平定させる)・象宝(空をも飛ぶ純白の象)・馬宝(空をも飛ぶ純白の馬)珠宝(発する光明が1由旬にも達する宝石)・女宝(美貌と芳香を持つ従順かつ貞節な王妃)・居士宝(国を支える財力ある市民)・将軍宝(賢明さ、有能さ、練達を備えた智将)のことであり、色の違いはありますが、黒駒は馬宝に相当する宝として考えられます。

これらの伝説は、『文保本聖徳太子伝記』の中で井上産として描かれた黒駒の伝説であります。もちろん、そのほかの文献上では異なる黒駒説話が描かれていますし、井上産となっているのかは不明です。

次回は井上黒の伝説についてまとめたいと思います。